ウツボよおどれ

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オトナプリキュアの感想

 

 

 

オトナプリキュアで一番見に沁みたシーンは、プリキュアを漠然と応援する大人たちにブンビーさんが喝を入れるところでした。

いつまでもプリキュアがんばれーと、がんばっている人だけに頼ってはならない。我々も大人なのだから1人ずつが明日のために立ち向かっていく。

そんなブンビーさん自体が、本作では熱心なプリキュアファンのおじさんみたいな、視聴者側に近いキャラだったのは大きいと思います。

 

 

 

全体的に、大人になってもなおプリキュアを応援している根強いファンよりも、昔プリキュアを数年くらい見ていた当時のファンに寄せたような作風だったと思います。

「あ、大人のプリキュアなんてやってるんだ。なつかしいから見ようかな」な人に向けたような温度です。

自分が見始めたのは大人になってからなのでそのあたりの感情はわかりかねますが……

 

大人になったプリキュアたちはそれぞれ悩みを抱えてます。

5組はいずれも仕事がちょっとうまくいってない、SS組は人生のパートナー関係の話で、まあマイルドで、そこまで重篤さや深刻さはなかったと思います。

大人向けだからと安直に話を重くするのは最悪なパターンの最たる例ですし、制作側が答えを出せないような話題を出されてもまた困るわけです。

解決できる悩みも、解決できない悩みもある。そんなプリキュアたちに視聴者が自身を重ねることを前提にした具合でした。

だから悩みの内容や解決の仕方自体は二の次で、大人になったプリキュアが悩みを持つこと自体に意義があると思っております。

 

書いていて、『魔女見習いをさがして』にて理解が薄い上司に悩まされていたところに最高に気持ちよく退職届を叩きつけて、自分に惚れてる男と一緒にカフェを開業するとか、自分を苦しませるヒモの彼氏をたまたま気持ちよく投げ飛ばしてくれる友達がいたとかがあったことを思い出しました。

ファンタジー寄りでもいいから気持ちよく解決させるか、そこをなるべく現実に即して書くかで、割と対照的かと思います。

 

 


ただ、8人いるプリキュアが12話という限られた尺で変身していくので、トントン拍子に悩みと向き合って変身していい感じになるのはノルマ消化感が否めません。

自分が想像しているコンセプトからして連続性のあるエピソードを抑えたかったような気がしつつも、テンポがよすぎるあまりに彼女らの悩みが軽めに感じられました。

特別な関係であろうこまちとナッツがほとんど絡んでないのも気になります。続編の匂わせはあったのでそこで描くのでしょうが、こまち回自体がふんわりとした内容の話だったので猶更。タイムフラワーの副作用に苦しめられているのものぞみだけです。

結局本作だけではまだほとんど何も解決していないので、そのあたりも含めてどうせ続編で描くのでしょうけど、「じゃあこのシーズン1はなんだったの?」というわけで。

 

 

あとは、過去作の続編を描くにあたりどうにも及び腰っぽく感じられました。

ここで言っておくと自分は初代~5GoGoのうち、5を半分くらいしか見ておりません。なので思い入れは強くない立場です。

 

特に気になったのがキュアブラックキュアホワイトの描き方です。

シャドウに苦しめられる5とSS。そこに現れたふたりはシャドウに大きな一撃を入れていきます。

変身前は画面に映りつつもぼかしたような描き方で、今もうまくやっているということくらいしか言及されません。ヘタに今の2人を描くと火傷しかねないから避けた感が強すぎます。

大人になって悩むSSと5が主役ポジションなことには違いないものの、悩み、苦しむ様子が特に描かれていないふたりが美味しいところをかっさらっていった印象。

『オールスターズF』では初代からのお約束描写を多々入れつつも、その初代は数多の中でそこまで目立っておらず、周りのキャラを喰っていなかったのを強く評価していたのでその反動はありました。

 

 

あと気にしているのは自分だけだと思いますが、たとえばかれんのじいやとかほのかの祖母とかがまだ元気に存命なところが気になりました。

断じて「高齢者は年月が経ったならくたばれ!」と言いたいわけではないです。

ただ、いつまでじいやはかれんの側にいられるのか?という話も気になるわけで。

続編で誰かとの死別を描くというのはそれだけで原作ファンから不評を買いやすいのでやらなかったと考えるのが妥当だし、自分もそう思うようにします。

 

一番気になったのは、別に自分たちがプリキュアである事情を知っているわけでもない飲み屋で毎日のように集うプリキュアですかね。そこはもう少しなんとかならなかったのか……