ウツボよおどれ

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「テリー・ザ・キッドの夜明け」について

 

 

普通だ!って感じの読み切り。

そうなんだ、普通なんだ。普通の2世なんだ。

「櫛の歯が欠けたよう」など微妙に聞き慣れない慣用句を使った言い回しや、掌返しが激しくて倫理観が行方不明なモブ。なんと2世的。

カレクックの過去とか、ベンキマン一族の秘密などの衝撃的な部分や、ウルフマンの断髪式など感慨深いシーンはないと思っていたけれども、アメリカに馴染んでいる魔雲天と生殖能力に疑問があるところから生まれた暴瑠渓の親子が見どころでしょうか。


自分がキン肉マンという漫画に出会ったのはごく最近のことなので、2世連載当時の空気感はあんまりよくわからないんです。

2009年の増刊号掲載とのこと。増刊号を出すからキン肉マンの読み切りが描かれたことはわかるものの、2009年当時は究極タッグ編の準決勝。

ザ・マシンガンズVSマッスルブラザーズ・ヌーボーを描いていたはずで、その当時、すでにキッドは敗退しています。

どうしてこのタイミングでキッド?




・キッドについての所感


ほぼ伝聞調ですが、2世連載当時(90年代後半~2000年代前半)は「どうせ台本があるんだろう」とプロレス冬の時代と言われていて、本気で殴り合う総合格闘技の時代。

三角締めを中心に締め技や、リアルな痛みのある関節技が2世作中で多かったりするのも総合の影響らしく。

しかしながら、ゆでたまご先生が好きなキャラはよく言われている通りテリーマンで、総合ともっとも無縁な泥臭くも華々しいアメリカンプロレス。

単なる2世対決以上に、暴瑠渓が得意とする総合格闘技的な合理的さに対する、テリー一族が得意とするアメリカンプロレスの図式が根底にあるのではないのでしょうか。

 


もしくは、本編でいまいち不遇だったキッドに花を持たせたかったとか。

ケビンとキッドを比較すると、その出番は大きな差があります。

ケビンはロビンの息子でありながら悪行超人という衝撃的な登場をし、オリンピックでは一族の威信をかけて万太郎と激突。悪魔の種子編でもさらに戦い、究極タッグ編ではヒロイン(?)ポジ。

対してキッドは、スカーフェイスに惨敗するのは確かに衝撃的でありながら、オリンピック編では良い意味で予選落ち。以後ずっと解説役で、究極タッグ編では奮闘するも敗退。


かたやフェニックスとの最終決戦まで戦い抜いたロビンマスク。かたやモーターマン戦が最終試合のテリーマン

王位編を機に力関係が入れ替わってから、ロビン王朝よりもテリー一族のほうが没落激しいです。

キン肉マンVSテリーマンというエピソードは読み切り含めて2度もありつつ、万太郎VSキッドや万太郎&キッドが実現していない現実も(ボーン・コールド戦やシュモクーン戦くらいはあるけど)。


少々穿った考え方ではありますが、2世当時、テリーマンは変わらず作者のお気に入りであっても、キッドはあまりそうではなかったという気がします。

2世において、ほとんどの親子関係・師弟関係はこじれ、失敗しています(万太郎、ケビン、チェック・メイト、ジェイド、ボーン・コールド、ヒカルド、シバなど)。

父以上に弱気だがここぞという時は張り切る万太郎、紳士の国の出身なのに粗暴で強いケビンマスクは、「あの親からこの子供が」という意外性とキャラの個性が噛み合っていますが、

やんちゃな跳ね馬・No.1気質・遊び人・合理的思考・父への反抗などの要素を持つキッドと、テリー一族に与えられた「気持ちをぶつけるファイト」という役割が反発していて、描きにくそうだった感があります。

 

そのわりに、キッドは万太郎・ケビン以上に、父と様々な面で絡んでいるシーンが多い印象があります。

あんまり出番が多くないキャラなのもありますが、技の面(レックス・キング戦やスカーフェイス戦)、行動面(オリンピック予選)、友情の面(新技開発に付き合う)、言動面(そういえばパパから聞いたことがある…)と、どこを見ても父の面影を感じます。

親離れできていないというか、テリーがなくてはキッドは成り立たないというか。

万太郎がキン肉星を出てから、万太郎とスグルが直接対面したのはKKD編の冒頭や悪魔の種子編のアシュラマン戦くらいで、意図的にそうしているのかだいぶ少なく、

ケビンとロビンは、記憶が正しければ究極タッグまで一言も会話していないです。あと決勝戦直前に和解してました。

万太郎が試合中に父との特訓を思い出したり、ケビンが父親のせいで技を使いこなせなかったり、また父のせいでメンタルを狂わされる印象はありますが、キッドはとりわけその印象が強いです。


そもそも、反抗期キャラがケビンとかぶってます。ケビンが父と会話などをするシーンは究極タッグ編になるまで皆無なので、そういう意味では対照的ですが。

 



・だってゆでだから…で済むことと済まないこと


キン肉マンという漫画は後付け設定が非常に多いです。

「温室育ちだった万太郎がスグルからレスリングの教育を受けていた」なんて後付け設定は山ほどあります。

でも大丈夫。それらはすべて「ゆで理論」ないしは「だってゆでだから…」で済まされますし、これは後付けのいちいちを気にしていたら読めない漫画です。

 

ただ、ダメだと思う後付けはキャラの性格や思想に関する面です。

これまでの試合で反則をしていたと語るスグル(諸説あるけど)とか。

悪魔超人と肩を並べて戦いながらヒカルドを中傷するブロッケンJr.とか。

正義超人魂に目覚めておきながら悪行に堕ちた21世紀ネプチューンマンや究極タッグ編のスカーフェイスとか。


特に今回の読み切りにおいてキッドは、

・父親との仲がこじれていない。むしろテリー一族の教えに従っている。

・テリー一族の教えを受けているので、精神面でとてもたくましい。

・読み切りは「技より信念」がテーマのひとつだったものの、本編では三角締めなどの最新技をバリバリ使っている(単にH・Fで教えられただけと見るべき?)

と、2世本編で見せた成長がすべてこの読み切りに濃縮されています。

一方、この読み切りは過去編なので、2世本編での描写ともかなり反発しています。

この読み切りを踏まえたうえで本編を考えると、テリー一族の教えを受け継ぎ、精神的にたくましくなった幼少期を送ったうえで、父との比較やスカーフェイス戦での心まで折られた流れがかなり空虚に見えるくらいで。

まあ、この読み切りではNo.1的思考などには特に触れられていないので、父の信念をすべて受け継いで成長しきっているわけではないとは思います。


過去編と本編で描写が食い違っているなんてこと、メジャーな作品でもそう珍しくないので、そういうことだと流しておくべきか。

どちらかといえば、ケビンがなぜグレてしまったかの読み切りが見たかった感。そのあたり2世でほとんど触れられてない……。


・魔雲天の子育て

 

無量大数軍編で武道につけられた魔雲天の口元の傷跡が、この読み切りでもついているので、明確に新章と2世は繋がっているという意見がありますが、自分はちょっと違うと思います。

だって、片腕と片足がもげて、胸元にクレーター空いて、目元も破けてるのに、口元だけそのままっておかしくないですか????????

テリーマンとの戦いで口元に傷を負うのもなんかおかしな気がする。

 

それはさておき……。

魔雲天はテリーマンへの執念がサタンに認められ、現世へ復活しました。

そこからキッドを直接襲えばいいものの、子供を作って、子供同士リングの上で決着をつけさせようとするあたり、妙に律儀です。

ほかの正義超人の子供たちをトラクターに載せて運んでいるのも、ご近所づきあい的なものを感じます。

 

前述したように、2世において大体の親子関係・師弟関係はこじれていますが、魔雲天と暴瑠渓の親子関係は大して悪くないです。

魔雲天が暴瑠渓のふがいなさを罵倒したりとか、過酷な特訓をさせていた様子もないので、良くも悪くもそれなりな関係だったんじゃないでしょうか。

最大の違いは暴瑠渓が火山技・体重を活かした技・関節技など多数の技を持っていたのに対し、魔雲天が持っていた「タダでは死なない信念」を教えられていなかったことだと思います。

暴瑠渓がかなり優秀な能力の新世代超人なのは確かなので、正義への転向も見てみたかったような、そうでもないような。

 


ところで、7人の悪魔超人や悪魔六騎士は超人墓場で労働に従事していましたが、

バッファローマン→正義超人なので言わずもがな。

・スプリングマン→復活後、眼鏡かけて隠居。

・魔雲天→上の通り。

ブラックホール→?

アトランティス、カーメン、ステカセ→残念ですが。


アシュラマン→正義超人に転向。

・サンシャイン→仲間がいなくなり、d・M・pで力を蓄える。

・ザ・ニンジャ→アタル兄さんと共に。

・スニゲーター→小説版読んでない。孫がMAXマン。

・プラネットマン、ジャンクマン→知らない。

で、かなり明暗分かれてますね。